創造性教育とプログラミング

先日,創造性に関するワークショップに参加していろいろと触発されたので,創造性教育とプログラミングについて思っていることを書いてみます.

創造性というとイメージするのがなかなか難しいので,僕は「工夫」と言い換えることにしています.工夫だとぐっと身近なものになりますよね.小さな工夫が沢山集まったものや,すごく大きな工夫がされているものは創造性が高いということです.創造性教育というのは工夫する力を育てると言い換えます.

もう一つ重要なことは破壊です.小さな工夫の積み重ねだけだと行き詰まります.そういうときは一度全部壊して,最初からやり直してみます.そこにまた新たな発見が加わり少し違うものができてきます.

工夫と破壊を繰り返して行くといつかはすごいものができます.ところが,そのすごいものはいつできるか分かりません.10時間やったらできるということではないのです.それから,ジワジワとすごくなってゆくのではなく,突然のひらめきでガラッと変わります.いつゴールにつくのかわからず,ゴールに近づいている感じもしないのは,苦しくて孤独です.

創造的な仕事ができる人は,この苦しくて孤独な時間に耐えられます.いつか素晴らしいゴールにたどり着けるということを信じているので,耐えられるのです.そして,振り返ってみるとすべての試行錯誤に無駄はなく,捨てられたアイデアも必然性があったことがわかります.

創造的な人を育てるということは,いろんなアイデアがどんどん出るような訓練よりも,長い時間の苦しみに耐え続けることができる辛抱強さを鍛えその先の喜びを知るべきなのだと思います.苦労への信頼感とでもいいますか,小さい成功体験の積み上げといいますか.

ここまでは一般的な創造性の話でした.辛抱強いというのは万能な能力なので,それさえあればどんな分野に対しても創造的な仕事ができるということでもあります.

創造性の対象は大きく二つにわかれます.時間に関係するものとしないものです.スポーツや楽器演奏などは時間に関係します.一定の時間のなかで何かをするわけですから,筋肉の強さ,正確さや反射神経などが十分鍛えられていないとできないでしょう.子供の頃から鍛えた人でなければそもそも無理かもしれません.それに対して,時間に関係しないものは,完成させるまでにどれだけ時間をかけてもかまいません.作業が遅いとか手先が器用とかあまり関係がありません.とにかく辛抱強く続けられさえすればいつかはすごいものができるのですから,誰にでも開かれているというものでしょう.たとえば,定年退職して時間がたっぷりある人にはすごく有利ですね.

プログラミングについてはどうでしょう.もう,辛抱強く続けられるかどうか,だけですね.時間は全然関係ありません.

最近のビスケットのプログラミングの例は,めがねの数が結構多くなっています.反射ゲームは,4方向,2種類の壁で,めがねはボールが動くのに4つ,反射が8つ必要です.それらは黙々とつくらなければなりませんが,黙々と作りさえすれば最後に相当面白いものが待っています.

開発室に来てくれている子供達も,最初は同じようなものを延々と作るのを嫌がっていましたけれど,一度完成させて達成感を得ると,段々と大きなものが作れるようになってきました.

もうひとつ重要な点として,成果物の評価は自分の中にあるか外にあるかというのがあります.スポーツで自己記録の更新というのは自分の中に評価があります.自分だけでよいか悪いかを判断できます.小説を書くのは,他人が読んでどう思うかですので,評価は自分の外にあります.

プログラミングはというと,この手のものに珍しく,評価は自分の中にあるんですね.もちろん,売り物のプログラムの場合は買ってくれる人が評価するわけですし,プログラムを書くのが仕事の人も雇った人が評価します.しかし,原始的なプログラムを書いて楽しいというレベルでは,自分が作ったプログラムの価値を自分が判断できます.面白いゲームができたら自分が面白いと思えます.

プログラミングが辛抱強さを鍛えるのに適しているかどうかということですが.完成物の評価が自分でできるわけですから,達成感は非常に高くなります.先生に褒めてもらったではないのです.自分が面白いのですから.ということは,プログラミングで(というか実はビスケットでですが)苦労が報われる経験を積むのは導入としてはなかなかよいのではないかと思うわけです.

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