コンピュータは君たちのものだよ

ビスケットが開発されてからこれまで,どうして開発したのか,というのをよく聞かれてきました.最近では,ビスケットは「コンピュータとは何かをプログラミングによって知る」ため,という言い方が一番通っていますかね.僕もそれを意識して言ってきました.

しかし,当然ながら最初からそう言ってきたわけではありません.

最初はプログラミングでモノづくりの楽しさを知るということを言っていました.もちろん今でもそれは変わっていませんし,ビスケットで作るのは楽しいのは僕が一番知っています.このブログに登場するサンプルプログラムを考えているときは本当に楽しいですから.

その後,ビスケットは国語とか算数とか音楽とかを学ぶにも使えるんじゃないか,などと言っていた時期もあるのですよ.

ところが,スクラッチがモノづくりのことと,教科での学びのことを言い出してしまいました.そうなると内容やレベルが全然違っていても,言葉としては同じなので,ビスケットの特徴がかすんでしまいます.

それで,スクラッチにはできない(やりにくい)情報の原理とか二進法とか,コンピュータサイエンス的な例にシフトしたのです.情報の原理は情報が広がって行くすごさとか怖さが誰でも体験できるので,これはもう,すべての人が体験してほしい内容です.15分あればできますし.ということで,ビスケットがコンピュータとはどういうものかを説明する,という役割づけは成功したと思います.

ところが,ここでパズル的なプログラミング教育教材が登場します.彼らもコンピュータサイエンスと言ってます.レベルが全然違うのですが,言葉としては同じなので,その違いを説明するのがまた面倒です.

パズル的な教育には賛否両論があると思います.もちろん効率よく問題解決能力を身に着けさせるにはパズル型は一つのよいやりかただと思います.

ただ,どうしても僕はそのやり方にはなじめない.どうしてなじめないのかをよくよく考えてみて,結局,この記事のタイトル「コンピュータは君たちのものだよ」というメッセージの違いかな,ということに気が付きました.

子供たちは,ゲーム的なものは沢山触っていて,触ると動くというものに珍しさはありません.パズル型はその彼らが持っているコンピュータのイメージを変える方向にはすすみません.むしろ,豪華な演出などで,コンピュータは自分にサービスするもの,という従来のイメージを強調する方向にあります.「次は僕をどうやって楽しませてくれるの?」です.もちろんここに,プログラムのコードを並べるから動くんだ,というゲームのルールはありますが,今までのゲームとはちょっと種類が違うゲームなんだ,程度にしか響かないのでは,と思います.

ビスケットは,徹底的に自分でプログラムを作った感を高める演出をしています.画面には余計な動きや派手なグラフィックはありません.一番目立つべきなのは子供の作品であり,画面上でものが動くのは,自分が書いたプログラムだけが理由です.絵のコピーもできないので,手で書き写すしかありません.そして,少しずつ機能を教えていって「え,これってもしかしてゲームが作れるの?」「こんなこともできるかも」という方向にもっていくのです.

このアプリの設計や指導法の根底にあるのは「コンピュータは君たちのものなんだよ」という思想です.「俺もやればできるかも」というビスケットがおもちゃだと思っている人に言わせると「壮大な勘違い」をさせることです.

子供たちがビスケットに夢中になるのは,自分のものになったからだと思います.キャラクターやゲーム的な演出で子供たちを夢中にしているのではありません.

僕ら大人たちは,頭が固いせいで,全く新しいものを作るよりも,ひどいものを我慢して使うことに慣れすぎてしまいました.

子供たちの中から,今まで思いつかなかった画期的な発明をして欲しいと本気で思っています.子供にはいま考えられる最高の環境を提供しなければいけませんよね.この程度でいいというのはあり得ません.

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする