プログラミングの評価が中にある理由

プログラミングは評価が自分の中にあるという話.これはかなり本質的な視点かもしれませんね.

プログラミング教育はブームのせいか,最近すごくいろいろな種類のプログラミング教育ツールが登場してきています.それらを深く調べたわけではないですが,ちょっと使ってみて,モヤモヤする気持ちを抑えられません.プログラミング教育を浅いものとはき違えているんじゃないかみたいな.

それから,本当に多くの人がインタビューなどでプログラミング教育について語っています.他のことで有名な方だったりするとそれは強い影響力をもってしまうわけです.ネガティブなことをおっしゃっているわけではないのですが,薄っぺらい内容をみるとがっかりします.せっかくのインタビューなのにもったいないし,反対している人たちの材料になりそうで不安です.

そんなときに,信頼できる仲間であるSiv3Dの鈴木さんの僕のブログに対するツイート

やっぱりこれですよね.この視点が共有できるかどうか.これが僕が共感できるプログラミング教育の立場です.このすごさだけで,ほかのどんな「何々力がつく」よりも子供に与える影響が強いと思ってます.

評価が自分の中にある,ということをもう少し詳しく考えてみましょう.

たぶん,どんな表現であっても,最終的にプロになった人には,自分の中で評価ができるようになっています.それがプロとしての必要条件かもしれません.たとえば,自分の描いた絵がいい出来なのかそうじゃないのか.それはまずは自分がわかる,ということです.その逆は,誰かに聞かないといいか悪いかわからない,ということで,誰かというのは絵の先生ですね.これは絵を習っている状態.そこから,自分なりに絵とは何かがわかってきて,自分の絵を自分で評価できるようになる.そして,その絵が他人からも高く評価されたときにプロになれる.

ほとんどの習い事がそうやって成長します.習っている段階では先生の評価に左右されて,そこから自分なりの評価を獲得してゆきます.

ではプログラミングはどうでしょうか.

プログラミングでも基本的な構造は同じでしょう.違うのはすごく初期の段階で自分なりの評価を獲得できるようになる.それはツールによって違いますが,ビスケットだと30分もかからずにそうなると思います(C言語だと10日くらいかかりそうです).

そうなる理由のひとつは,表現が直接的かどうかという点です.絵は直接的です.自分が筆を動かして描きます.いい線が引けるか引けないかは,自分の筆の動かし方で決まります.基本的なスキルを向上させても,それが結果には1対1でしか現れないということです.それに対して,プログラミングでは入力するのはプログラムを作ることで,出力されるのはプログラムをコンピュータが実行した結果です.そこで入力の何倍もの出力が得られます.基本的なスキルが重要なのは同じだし,それが良ければ結果も良く,悪ければ結果も悪くなるというのも同じなのですが,そこに何倍もの効果がかかっているということが違うのです.

その性質により,すごい勢いで基本的なスキルが向上し,自分なりの評価尺度を獲得でき,理想的な教育環境が実現できる,ということになるのでしょう.

これらの仮説が正しいとすると,プログラミング教育におけるツールを図る尺度として,入力(プログラムを作ること)に対する,出力(実行結果)の倍率がどれくらいなのか.入力の良し悪しが出力の良し悪しに敏感に反応するかどうか.というのを考えてみてもいいかもしれません.

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