プログラミング教育での悪い癖

先日,中学生にビスケットの授業をやったのですが,プログラミング教育の悪い癖が出てしまったので,ちょっと書いてみたいと思います.

1回目は90分でビスケットランドと感染やジャンケンなどをやりました.これはこれで定番な内容でそこそこ上手く行ったと思います.普段,幼稚園児を相手にしている反応の大きさと比べたら小さな反応でしたが.

で,2回目で彼らにはもっと難しいことに挑戦してもらおうということで,倉庫番を作ってもらいました.

最近の人たちにはこのゲームはそんなに知られていないので,まずは簡単に説明してから,6名くらいのグループに1台,倉庫番が入ったタブレットを渡して遊んでもらいました.

その後,ビスケットで倉庫番の作り方を説明して作ってもらいます.作り方の説明は一番遅い人に合わせてやっているので,すぐできてしまう人は暇なようで,たとえば,斜めに動けるようにするとか,いろいろと余計なものを作ってしまってます.倉庫番で遊んでみると分かりますが,斜め移動を許すとゲームが簡単になりすぎてしまうのですよね.授業の最後の方で簡単になりすぎることに気が付いて,斜め移動をやめた生徒もいました.

ゴールに荷物が乗った判定のメガネは難しいので,単にマークとしての情報だけにして,そこに荷物が置かれているかどうかの判定は人間がする,ということで教えました.

ところが,やっぱり作りなくなるんでしょうね.ある生徒が興奮して「もしかして,こういう絵を描いて,こういうメガネを作れば,ゴールに入ったことの自動判定ができますか」という質問をもらいました.ところが,彼が言った方法はメガネがたくさん必要なのです.ゴールに右から荷物を押した場合,ゴールに左から荷物を押した場合,…という具合です.前に書いた10個で作る倉庫番の方法ではメガネが2つで済みます.それで,僕はつい「こうするとメガネを減らせられるよ」といってしまいました.それに対して彼は「いや,少なくするとかじゃなくて,作れるかどうかを知りたいんです」と言ってました.

彼には簡単に作るという技術はまだ早かったのではないでしょうか.彼の視点からすると,できないと思っていたことが(自分の発見で)できそうだ,ということに興奮したわけです.その興奮に水を差すようなことをしてはいけませんでした.

そう思って振り返ると,僕は結構先走ったことを言ってしまってますね.僕はプログラミングをバリバリやっているので,つい,簡単に作れるということに興味が行ってしまいます.

でも,そんな僕でもプログラミングをやりたての頃は「作れないと思っていたものが自分でも作れる」ということに興奮していたはずなんです.とっくに忘れてしまってますが.で,彼らの体験に寄り添うならば,その興奮に温かく見守るべきなのでした.

ビスケットを使ってもらっていると,無駄なメガネが多すぎる,ひどいプログラムに沢山出会います.で,僕はつい今の僕の視点でメガネを簡単にできる方法を言ってしまってます.その僕の指導はいいことなのか.

メガネの数が少ないことが絶対的な正義なのか,ちょっと考えさせられる少年の一言でした.

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