プログラミング教育と選別

小学生向けのプログラミングもいろんな立場が錯綜してますが,義務教育(厳密に言うと学校の授業)では選別はして欲しくないと思ってます.中学,高校くらいで自分は向いていないとうすうす感じるのは仕方ないとしても,小学生では全員が「おれ,こういうの得意かも」って思わせておきたいです.

たぶん,小学校で習う他の内容もそう設計されているはずです.たとえば鉄棒の逆上がり.あの手この手で全員ができるようになるためのいろんな教え方や道具が発明されています.結果的にできない子が出てしまうかもしれませんが,先生方のエネルギーは一人でも多くの子供にできるようになってもらおう,ということに向けられていると思います.

「ビスケットは出来ても,他のプログラミングができないんじゃ意味がないじゃないか」という声もあると思います.「ビスケットの後,本物のプログラミングに進むにはどうしたよいですか?」「ビスケットなんかやっちゃうと,かえって本物のプログラミングを学ぶ妨げになるんじゃないですか?」そんな意見は何度も聞きました.

僕はビスケットを作った17年前は,もう少し未来を見ていました.プログラミング言語の技術はどんどん進化して,この子たちが大人になる頃には,こんなレベルのプログラミングなんて消えていってるに違いないし,人工知能がプログラムを作る時代になるはずだ.だから,今のプログラミングじゃなくて,そんな時代のコンピュータとうまくやっていける人を育てなければならないんだ.

残念ながら17年たっても,プログラミング言語はぜんぜん進化してなくて,僕が想像していた未来はまだ来ていません.むしろ,17年前にすでに僕が古いと感じていたプログラミングスタイルがガンガン生き残っていまし,昔はメガネ的なプログラミング言語がたくさんあったのに,いまはまったくみる影もありません.ビスケットが見本としたKidsimというメガネ式の言語はStagecastという名前になって販売されてましたが,いまはもうサイトもありません.プログラミング言語が退化している印象です.

今はまだ「情報革命」の真っ最中ですが.その革命に,お金持ちと技術者しか参加していない,という点でも不満を持っています.この革命を「文化的」で「豊かな」ものにするためには,技術者以外の人たちに大勢参加してもらう必要があります.

よく海外の美味しい料理の話題で「これはXX地方の家庭料理がルーツで」みたいな話をよく聞きます.料理の専門家は粗雑なものを品のあるものに昇華させるプロだと思いますが,オリジナルは一般人から出たりもするのです.

どうやって情報革命に技術者以外の人に参加してもらえるようにするのでしょうか.

僕の出した答えは「プログラミングを簡単にする」でした.そもそもプログラミングは面倒すぎる.コンピュータにさせられることは,コンピュータにさせればよい.人間にしか出来ないことに集中させるべきだ.

そうやって,プログラミングのいろんな難しい部分を取り除いて,人間にしか出来ないことだけを取り出す.その一つの形がビスケットです.ビスケットは汎用言語ではなく,2次元の絵を動かすということに特化した言語ですから,ビスケット以外にもいろんな言語の可能性があると思います.3Dで物理モデルがはいっているやつとか,ロボットを動かすとか,音がすごいとか,もっといろいろ作れそうです.

さて,プログラミングが簡単になると何が起こるのか.一つは「自動的に動く」自己表現ツールの可能性です.自己表現といったら,歌ったり,スピーチしたり,文字を書いたり,絵を描いたり,そこにプログラミングが入ってきます.高い声,低い声をコントロールするのと同じくらいに,絵を自動的に動かす指示をだします.実はビスケットの周辺では,僕が驚くことがあちこちで起きています.近々公表できるようになると思うので,お楽しみに.

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